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2025IAU24時間走世界選手権 日本代表を目指す最後の挑戦

2025年5月30日
IAU24時間走世界選手権 日本代表を目指す最後の挑戦

IAU24時間走世界選手権出場をかけて日本代表選考レース第2戦の弘前24時間走選手権に臨む。

第1戦の神宮チャレンジ(3月8日)本選では不甲斐ない記録で3位と沈み代表権を獲得できなかった。残すは4名枠の内の3名を第2戦 弘前24時間走選手権(5月24日)と第3戦 益田24時間ウルトラトラックレース(6月21日)の終了後に決定される。※IAU24時間走世界選手権:各国の代表選手が出場 2年に1度開催(2025年10月フランス)

第1戦の神宮チャレンジ以降、日程的なことを考えても第2戦 弘前24時間走選手権(5月24日)が日本代表を目指す最後になるであろうと不退転の覚悟で日々を過ごしてきた。2か月間で1,950㎞を低速で走り込み、残りの5月1日から17日まではスピード感を付けるために4〜5.5分前後で500㎞こなしてきた。


同じく日本代表戦に臨んだ2年前、選考レース最終戦(※第3回弘前24時間走選手権 再び250㎞超えへの挑戦)の同選考レースで250㎞を越えれば代表決定という状況の中、あと一歩のところで夢は散り涙した。

夢を捨てきれず翌日から2年後に向け準備を始めた。260㎞アップできる身体を目指し筋トレ、体感トレーニングのメニューを追加し、雨の日も風の日も雪の日も走り続け、約18,000㎞を走り込んできた。

「今回がラストチャンス」そう思って臨んだのは、年齢的なことというよりももうこれ以上の鍛錬は2度とできない程に、自己規律を持ち1日1日を大切に自分に誠実にやり込んできたから。

レース中、他の選手の懸命な背中を見るたびにこれまでの自分と重ね合わせ何度も涙が込み上げてきた。


レースは想像していたよりも遥かにレベルが高く、一進一退の攻防が続く。「この数年国内では出ていない260㎞アップをしなければ夢は叶わないだろう」そう思いながらこれ以上離されないように必死でくらいつく。他の2選手はそれくらい素晴らしい走りだった。休憩もすべて入れ平均5分20秒/㎞を越えてくれば限りなく夢が遠のくというのはわかっている。プレッシャーが重くのしかかる。

何度も引き離されかけ諦めかけたがこれまでの日々を反芻し、自身を信じ続けた。

これまでのように最後まで諦めなければ神様が必ず公平に今まで1番努力した者の背中を押すはずだ。いつだってそのように結果を受け入れてきた。 

勝負は最後までもつれお互い何度も抜き返しを繰り返す。

止まることはできない。脚を止めるともう2度と走り出せないのではと思うほどダメージを受けている。

残り3時間くらいだっただろうか。これまで1位選手との1周(1.2㎞)差を縮められずにいたが、一時的に脚が楽になりこれに追いついた。神の手に違いないと思いながら走る。
 
勝利を掴むか損ねるかの運命の間を行ったり来たりを繰り返しもがく。

「価値あるもので簡単に達成できるものがあるはずがない」

これまで幾度となくどれだけの覚悟なのかを試練に形を変え試されてきた。どんなことがあってもどうしても負けるわけには行かない。

ラスト1時間、勝利を確信する。

24時間の終了の合図とともに両脚は硬直し座ることさえできなかった。ギリギリの闘いは終わった。

昨年自身が記録した日本記録 M50(50才以上)を10㎞更新し、これまで夢に見た1番欲しかったものを手に入れた。

■結果
総合1位
262.302㎞ 日本記録M50(50才以上)




日本代表の決定は第3戦 益田24時間ウルトラトラックレース(6月21日)の結果をもって発表となります。

IAU24時間走世界選手権(2025.10 フランス)行が決まったら勿論、自己記録を狙いに行きます。

「夢や目標を達成するには一つしか方法がない。小さなことを積み重ねること」

すべての皆さまに感謝します。

ありがとうございました。


【おまけ】

スタート前 招待選手としての挨拶


表彰式の一コマ



次戦

2025年7月7〜9日 バッドウォーター135
レース内訳 : 135マイル/217㎞、アメリカ カリフォルニア州 デスバレー(海抜85m)〜ホイットニー山(標高2,548m)、累積標高+4,450m、-1,859m、制限時間48時間