「東海道・陸奥一人旅」 陸奥(みちのく)編

「東海道・陸奥一人旅」 ポタリング 陸奥(みちのく)編

2010年 「東海道・陸奥一人旅」 陸奥(みちのく)編
自転車を車に積んで観光地や史跡をポタリングした記事をまとめました。

4WHEELS PLUS BICYCLE
自転車を車にプラスしてフィールドへ行こう!






景色が良いポイントに車で移動して散策すると色々な発見や綺麗な景色を堪能できて楽しいです。
トランスポーターを使って行動範囲を広げて「ぶらぶら、気軽に」楽しんでみよう!


【「東海道・陸奥一人旅」ポタリング 陸奥(みちのく)編 関連記事】


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みちのくの小京都 角館(かくのだて) ポタリング


秋田県 田沢湖 ポタリング


「弘前神社仏閣めぐり」ポタリング  新寺町寺院街


「弘前神社仏閣めぐり」ポタリング 西茂森町禅林街


「弘前神社仏閣めぐり」ポタリング 仲町伝統的建造物


弘前公園 ポタリング


弘前城 散策


津軽藩ねぷた村 散策


2010年「東海道・陸奥一人旅」


「東海道・陸奥一人旅」 東海道編


「東海道・陸奥一人旅」 陸奥(みちのく)編


「東海道・陸奥一人旅」 蝦夷地(えぞち)編

津軽海峡フェリー

2010年 「東海道・陸奥一人旅」 陸奥(みちのく)編

津軽藩ねぷた村を出発して・・・

ナビゲーションを青森港へセットして到着予想時刻と津軽海峡フェリー時刻表を再確認してみると・・・
青森発18:45  函館着22:35
青森発22:15  函館着翌01:55
もしかしたら18:45のフェリーに間に合うかも!?
急いで青森フェリーターミナルへ!


青森フェリーターミナルへ到着したのが15分前の18:30頃・・・
駄目元でカウンターに行ってみると・・・
あっさりOK!
急いで受付を済ませてフェリーへ♪


凄い立派な大きいフェリー♪♪

と思ったら・・・









隣のフェリーに誘導されました・・・(苦笑)


乗船完了!

青森~函館間は津軽海峡フェリーと青函フェリーの2社が運行しているのですが

車輌運賃
津軽海峡フェリー 6m未満       ¥20,000

青函フェリー    4m以上 5m未満 ¥17,650
青函フェリー    5m以上 6m未満 ¥22,850
※2010年6月の料金です。

200系ハイエーススーパーロングの寸法は5380mmですので津軽海峡フェリーを選択。


「東海道・陸奥一人旅」もここで終了・・・

今まで乗ったフェリーと様子は違うと思いながら船内散策開始!

車は10台程・・・




客室は2等和室3部屋

青森フェリーターミナルに到着した時間がギリギリだったのと、すでにフェリーターミナルの売店が終わっていたので昼から何も食べていません・・・

「フェリー内の売店で何か買って食べよう♪」
と安易な考えだったのですが・・・


船内には自動販売機3機のみ!?


2010東京オートサロン出展日記 宮城県編 仙台港フェリーターミナル を思い出しながら・・・


お約束の「赤いきつね」です!(笑)

【教訓】
フェリーに乗る際は事前に乗るフェリーの船舶情報を調べて、時間に余裕をもって、食べ物を事前に購入して、乗り込みましょう!


2等和室は貸切状態で約3時間40分の船の旅はあっという間でした・・・


函館港が見えてきました!


函館フェリーターミナル




空港!?
と思ってしまうくらい綺麗な函館フェリーターミナルでした。

ここから
2010年 「東海道・陸奥一人旅」 蝦夷地(えぞち)編
スタートします!

津軽藩ねぷた村 散策

2010年 「東海道・陸奥一人旅」 陸奥(みちのく)編

弘前城見学も終えて・・・


弘前市散策スタート地点の津軽藩ねぷた村へ戻ってきました。


夕方で津軽三味線や民工芸製作体験等はすでに終わっていたのですが・・・
見学だけだと出来るという事でしたので見学させて頂きました。




館内に入ると大きいねぷたが多数!


スタッフの方がねぷたの歴史や他の地域のねぶたについて色々と親切に教えてくれます。




ねぷた内部


























東北地方のねぶた、ねぷたの資料が沢山有り色々と勉強になりました。

ここで青森県ねぶた・ねぷた祭りマメ知識!

青森県だけでも約40のねぶた・ねぷた祭りが有り
青森市の青森ねぶた、弘前市の弘前ねぷた、五所川原市の五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぷた)、黒石市の黒石ねぷたなどが有名。

同じ青森県内でねぷたの形状も違いますが
青森市の青森ねぶたは 「ラッセラー、ラッセラー」
弘前市の弘前ねぷたは 「ヤーヤドー、ヤーヤドー」
五所川原市の五所川原立佞武多は 「ヤッテマレ、ヤッテマレ」
黒石市の黒石ねぷたは 「ヤーレ、ヤーレ、ヤーレヤ」
と掛け声も違います。










営業時間ギリギリで見学しているのは自分一人だったのですが・・・


スタッフの方がコマの実演をしてくれました!


弘前市滞在時間も短かったですが東北地方の色々な歴史にふれあえて楽しい時間でした。
見学を終えてから津軽藩ねぷた村スタッフの方や弘前市民の方にトランポの相談もして頂きました。
有難うございました!

弘前城 散策

2010年 「東海道・陸奥一人旅」 陸奥(みちのく)編

弘前公園を散策して・・・


弘前公園有料区域の本丸に有る弘前城天守です。

天守(初代)
最初の天守は弘前藩2代藩主津軽信枚により慶長14年(1609年)頃に本丸南西隅に建てられた5重の建物である。
内部6階と推定される建築は僅か4万7000石の大名としては破格の巨大さで東北地方では会津若松城天守に次ぐものであった。
しかし、完成から僅か20年に満たない寛永4年(1627年)に落雷で炎上し、内部の火薬に引火して大爆発を起こして焼失した。
この天守は再建されることなく、跡には本丸未申櫓が建てられた。
石垣も大きく改変されかつての痕跡は存在していない。

天守(御三階櫓)
天守(本丸外側より)本丸唯一の現存建築である天守は寛永4年(1627年)に焼失した5重天守の代用として文化7年(1810年)から本丸辰巳櫓を改修し文化8年(1811年)に完成した層塔型3重3階の建物である。
高さは約14.4メートルで現存する3重天守の中で最も低い。
往時は幕府への配慮から天守とは見なさず、櫓(御三階櫓)として扱われていたが、「事実上の天守」としての役割を持ち現在は書籍等の多くで天守として扱われている。
昭和24年(1949年)に松前城天守が焼失したため、現在最も北に位置する事実上の現存天守でもある。

ウィキペディア参照

弘前城天守は今現在は史料館となり、江戸時代後期に築かれた、全国に現存する数少ない天守の一つで、藩政時代の史資料を展示しているとの事ですので見学します!


















色々な昔の資料が展示して有りました。

その中で一番興味を持ったのが・・・


津軽藩士 赤石愛太郎 敵討ち遺品

嘉永(かえい)5年赤石愛太郎という名の弘前藩士の母親が東津軽群油川村(現青森市)で島川吉之進に殺された。
愛太郎は母親の仇討ちを心に誓い津軽藩士山田登に剣術を学んだ。
剣術を学びながら津軽藩へ母親の仇討ちをする為に藩を出ることを何度も訴えるが断られ月日が過ぎる・・・
それから数年の月日が経ち母親を殺した島川吉之進が偽名を使って水戸へ隠れていることを突き止める。
再度、藩に仇討ちを訴えたが断られ藩の規律を破り出奔。
嘉永7年6月19日に水戸城下で水戸藩の藤田東湖らの助力をえて母親の仇討ちを成し遂げる。
仇討ちを終えて江戸へ誤送される途中に自害してしまう。
享年二六歳
何故自害したのかは
「大事になり藩に迷惑がかかる」
「長年願っていた母親の仇討ちを成し遂げて母親の元へ逝った」
などと言われています。
※上記は資料を読んで記憶で書きましたので多少の違いが有るかもしれませんがご了承ください。


母の戒名や当時愛太郎が上役へ差し出した召捕り願い書


仇討ちに使ったとされる刀


赤石愛太郎母親仇討ち事件は江戸でも大きいニュースとなりかわら版が出回ったとの事です。

凄いお話なのですがネットで検索しても資料がほとんど有りませんでした・・・(残念)


本丸


武徳殿休憩所
明治44年に演武場として建設され、その後休憩所として保存修理したもので、物産の販売や喫茶コーナーがあり、また北の郭で発掘された出土品も展示しています。




短い時間でしたが歴史に触れ合えて貴重な時間でした。

弘前市HP参照

「弘前公園」ポタリング

2010年 「東海道・陸奥一人旅」 陸奥(みちのく)編

雨も小降りになったので亀甲町休憩所を出発して・・・


弘前城が有る弘前公園へ




公園の外周を一周してから・・・


北門(亀甲門)
国の重要文化財にも指定されている北門(亀甲門)から公園内に入りました。

弘前城には
【北門(亀甲門)】 【南内門】 【東内門】 【追手門】 【東門】
と五つの門が有ります。
建築年代を示す明確な資料はありませんが、いずれも江戸初期のものと考えられます。
城門は、雪を考慮してか、一重目の軒が城門としては少し高く、屋根の軒が直線的であるなど、構造に配慮や工夫がみられます。
これらの城門の特徴は、それぞれ「桝形」と呼ばれる虎口が2つあることです。
門の前側にある桝形(外桝形)、後側にある桝形(内桝形)が、城門と土手で囲んで「コの字」形をつくることで敵の直進をいったん阻み、そこに入った敵を全滅させるという仕組みになっているようです。
一般には城の正面城門を「大手門」と呼びますが、弘前城の場合は「追手門」と呼ばれています。
「追手門」は市役所前にある門で、現在は弘前公園の正面入口となっていますが、築城当時の弘前城は北向きの城であったため、北の正面にあたる、現在の北門(亀甲門)が追手門と呼ばれていたそうです。
現在5つの城門は、国の重要文化財になっています。


こちらが追手門




公園内も広いので自転車が最適です。


青森県護国神社









青森県護国神社は幕末の箱館戦争で倒幕軍として出兵した弘前藩士や、その後の日清、日露、大東亜の各戦争などに出征し、死亡した本県出身者の霊2万9171柱を祭っている。



弘前城天守
天守は、もともと華麗な五層の天守で、本丸西南隅にありました。
寛永4年(1627年)に落雷で焼失し、再建しようとしましたが、当時の法律「武家諸法度」では天守の新築を禁じていたため、やむなく隅櫓の名目で幕府の許可を得て、今の三層の天守にしたのだそうです。
弘前の天守は、江戸時代に再建された天守としては関東以北唯一のもので、現在でも弘前のシンボルとして人々に親しまれています。
なお、天守で起こった火災の原因は、城のシンボルとしてそびえ立つ鯱に雷が落ちたと伝えられていますが、一説によると三層目にある釣鐘が過熱し、二層目の天井を突き抜け落下、火薬に火がつき天守もろとも大爆発したともいわれています。


この赤い橋を「下乗橋」といいますが、この名は、藩主と藩主から許された者以外は、誰でも乗り物から降りて歩いて渡らなければならなかったことからついたものです。
上記の内容は帰ってから知ったのですが、自分も無意識に自転車を降りて渡りました・・・(笑)



弘前市HP参照

「弘前神社仏閣めぐり」ポタリング 仲町伝統的建造物

2010年 「東海道・陸奥一人旅」 陸奥(みちのく)編

「弘前神社仏閣めぐり」 西茂森町禅林街を出発して・・・


誓願寺山門
山門の建築年代は不明ですが、形式から江戸中期と推定されます。
建物全体に彩色されており、上層の四周板壁には十二支の動物の絵が描かれ、懸魚を鶴と亀の形に作るなど珍しい形式で、俗に「鶴亀門」とも呼ばれて親しまれています。
弘前城築城の際、現在地に移され、幾度かの火災に遭い、再建を繰り返してきましたが、幸いにも山門は火災を免れています。


誓願寺
誓願寺は慶長元年(1596)大光寺村(現在の平川市)に創立。


「弘前神社仏閣めぐり」 はこれで終わりにして・・・
弘前市は約400年にわたる歴史を刻んだ城下町であるため、藩政時代からの街並みやその背景を知る古い町が残っている仲町伝統的建造物群保護地区を散策しました。


旧伊東家


この建物は、津軽藩政時代に代々藩医を務めた伊東家の居宅として、元長町の一角に建てられたものです。
医者としての居宅ですが、中級武士の居宅によく似た構造・特徴を残しています。
座敷は簡素ながらも剛質な造作をした床と、違い棚を組み合わせ、藩政時代の落ち着いた住宅空間を生み出しています。


現在の建物では見られなくなった式台・板大戸・板雨戸・いろりなども当時の建物を偲ばせてくれます。


旧梅田家




江戸末期の嘉永年間に建てられた武士の住宅で弘前城の南、在府町にあったものです。
建物の建築年及び当初の住居者を推定する墨書が調度品に残されており、社寺建築や城郭建築以外の江戸時代の建築物で、墨書が残されていた例は当市では今までにない貴重なものです。




東面は縁側がつき、開放的な雰囲気を持つのに対し、北面と西面は壁部分が多く閉鎖的な造りになっています。


旧岩田家


この建物は、昭和56年岩田氏の遺志により市へ寄贈されたもので、正確な年代は不明ですが、建物の状況や江戸時代の文献、社会状況などから判断すると寛政時代後期から文化年間に建てられたものと思われます。
柱や小屋組などの主要構造部材、芽葺屋根など、ほぼ建築当初のものです。






式台の「げんかん」をもち、日常生活空間を通らなくても「ざしき」へ行くことのできる間取りが、武家住宅の特徴です。


亀甲町 (かめのこうまち)
慶長8年(1603年)、藩祖為信が、新城築城とその城下の建設に着手した、最初の町割りが当地であったといわれ、兵法にいう城を守る四神(東西南北の神)の北の神、玄武(亀のこと)にちなんで命名されたと伝えられます。
それ以来変わることなく、現在に至った弘前城にゆかりの深い町名です。

弘前市HP参照


また雨が強くなってきたので亀甲町にある休憩所で小休憩・・・

「弘前神社仏閣めぐり」ポタリング 西茂森町禅林街

2010年 「東海道・陸奥一人旅」 陸奥(みちのく)編

「弘前神社仏閣めぐり」 新寺町寺院街を出発して・・・






弘前城の西南に禅林33カ寺と呼ばれる西茂森町へ
読んだとおり33ものお寺が立ち並ぶ、古都弘前の名所の1つ禅林街です。


栄螺堂 (さざえどう)
天保10年(1839)弘前の豪商中田嘉平衛が寄進。
八角形の内部は右回りの回廊と直進階段を併用して昇降。
東北では2つだけしかなく大変貴重なものです。
弘前市HP参照




色々なお寺を見ながら一番奥へ・・・


長勝寺三門
長勝寺の顔ともいうべき三門は、高さが16.2mあり、江戸初期の寛永6年(1629)に建てられたものですが、文化6年(1809)火燈窓(仁王像を入れている部分)を新設したため下層部分が当時と変化しています。






嘉元鐘(かげんのしょう)
、「嘉元四(1306)年」の銘をもつ嘉元鐘。
高さ103.5㎝、直径76.5㎝で「皇帝万歳」で始まる銘文は、鎌倉円覚寺の銅鐘と同じです。




霊廟
本堂左手奥の杉木立の中に並ぶ五棟の霊廟。
御影堂より南へほぼ一線に並び、いずれも東に面して玉垣で囲われ、正面に門を置いています。右から環月臺(為信の室)、碧巌臺(2代信枚公)、明鏡臺(信枚公の室の満天姫)、白雲臺(3代信義公)、凌雲臺(6代信著公)と続いています。
いずれも江戸時代前期から中期に属するものです。
弘前市HP参照





「弘前神社仏閣めぐり」ポタリング  新寺町寺院街

2010年 「東海道・陸奥一人旅」 陸奥(みちのく)編

6月21日朝

弘前公園横の「津軽藩ねぷた村」


「津軽藩ねぷた村」駐車場に車を停めて弘前市ポタリングスタート!
弘前市は「みちのくの古都」といわれるだけあって、じつに多くのお寺があります。
城の西南に禅林33カ寺と呼ばれる西茂森町。
城の南には各宗派のお寺がずらりと並んでいる新寺町があります。
北の守りの拠点として重要視されていた弘前は、神社仏閣に至るまで必要な方角や地形が計画的に配慮され文化的、政治的な意味を含んで、城と密接につながって防衛線を形成しています。
特に禅林33カ寺を集めた長勝寺構、五重塔のある新寺構などは、城の鬼門を守る重要な役割を担っていたのです。
しかし現在ではそうした殺伐とした感じはなく、よく整った寺院街のたたずまいは、独特の風情を感じます。


弘前城の南にある各宗派のお寺がずらりと並んでいる新寺町寺院街へ
新寺町は慶安3年(1650)に寺院街になったところです。
それまでは弘前城の東の寺町(現在の元寺町)にあったのですが、慶安2年(1649)に横町(現在の東長町)から出火。火災は寺町に延焼し、浄土宗・門徒宗・法華宗など15カ寺が焼失したと伝えられています。
翌年に3代藩主信義公が寺院を南溜池(現在弘前大学医学部グランド)の南側に移築しました。
現在の新寺町には23カ寺が並んでおり、禅林33カ寺とともに弘前の歴史的名所です。

新寺町寺院街でも代表的な最勝院の散策

その前に・・・


ここでポタリングアイティムのご紹介!


スポーツバイクファクトリー北浦和スズキ様訪問の時に購入した
「CROOPS DOUBLE LOOP CABLE LOCK Q」
コンパクトで持ち運びも便利でサイクリング等の短時間のセキュリティーには十分なケーブルロックです。


新仁王門


最勝院三十三観音


最勝院五重塔(国指定重要文化財)
津軽統一の際、戦死したすべての人々を敵、味方の区別なく供養するため、3代藩主 信義(のぶよし)が350年も前に建てさせたものです。
塔の総高は31.2mで、初重は三間四面、五層の建造物。東北一の美塔と讃えられています。


最勝院平和の鐘


一.皆が健康でありますように
一.皆が幸福でありますように
一.争いのない平和な世界で有りますように
と心をこめて撞いてきました!

この他にも色々な仏閣が有ります。歴史や仏閣を詳しく知りたい方は金剛山 最勝院 HPをご覧下さい。


最勝院の散策が終わった瞬間に激しい雨に・・・


目の前にランチをやっていた「わいんぱぶ ためのぶ」へ雨宿り。


食事もワインも豊富でした♪


少し早いですがランチを頂きながら外を見ていると・・・


「雨はすぐ止むよ。良かったら傘持っていきな。」
とマスターに傘を頂き歩いて散策開始!
有難うございました。
東北の方は本当に優しいです。


袋宮寺


袋宮寺の本堂


十一面観世音菩薩立像
袋宮寺、十一面観世音菩薩立像は今から333年前の延宝五年(1677年)に作られた木造の仏像との事です。


お参りをしていると・・・
雨も小ぶりになってきたので元の場所へ戻ってポタリングスタート!
「わいんぱぶ ためのぶ」さん有難うございました!

道の駅「虹の湖公園」

2010年 「東海道・陸奥一人旅」 陸奥(みちのく)編

国道102号十和田道西十和田いでゆラインでHIDテストを終えて・・・


青森県黒石市 道の駅「虹の湖公園」へ到着
PM6:00を過ぎていたのでお店はやっていなく・・・


人の気配は有りません・・・


虹の湖公園ふれあい広場をプチ散策!




5万9千m2の広大な敷地には
・スポーツガーデン
・コミュニティガーデン
・ステージテント
・屋台村
・パターゴルフ場
・フィールドアスレチック
・バーベキューコーナー
・釣堀
etc
と充実したレジャー設備が満載です。




浅瀬石川ダムが隣接したダム公園です。
この湖の中には昔あった沖浦ダムが水没しているとの事です。
資料館が開いていれば見学したかったのですがすでに閉館・・・
こんな広い空間に一人・・・

時間もおしていたのと異常に寂しかったので・・・(笑)
滞在時間数十分で目的地の弘前市へ!


弘前市へ向かう道中の夕日が綺麗でした♪


着替えが底をついたので・・・
道中のゼビオで着替えをゲット!

弘前市内へ到着したのはPM10:00過・・・


街の人に津軽三味線を演奏しているお店を紹介していただきました。


生演奏は迫力が有ります。


お客様もグローバル!
「ナイジェリア出身の方でワールドカップサッカー負けた・・・」
と嘆いていました(笑)

国道102号十和田道 西十和田いでゆライン HIDテスト

2010年 「東海道・陸奥一人旅」 陸奥(みちのく)編

十和田湖 奥入瀬渓流を出発して・・・


国道102号十和田道
標高約1000mの険しい峠道です。




峠を進むにつれて霧が出てきました。


峠の途中に展望台の駐車場が有ったのでHIDのテストを開始!


車から約50m離れると車がまったく見えない濃い霧です。


ライト消灯


フォグ点灯
200系ハイエース純正フォグランプ専用NEEDSBOXフォグランプHIDイエロー3000K


ヘッドライト点灯
TRAVOIS HIDデュアルH4 6000K


フォグ&ヘッドライト点灯


濃い霧の中対向車にこちらの存在をアピール出来ます。
対向車からわかりやすいのは
TRAVOIS HIDデュアルH4 6000K
運転していて見やすいのは
200系ハイエース純正フォグランプ専用NEEDSBOXフォグランプHIDイエロー3000K
濃い霧の中だとTRAVOIS HIDデュアルH4 6000Kは霧が反射して少し視界が短くなってしまいます。
NEEDSBOXフォグランプHIDイエロー3000Kは視界は良くはならないのですが道路標識等の反射に優れていて運転しやすかったです。
冬道でのNEEDSBOXフォグランプHIDイエロー3000Kの実力は証明できていたのですが霧に対するテストもできました。



せっかくなので展望台へ・・・


もちろん何も見えず・・・(苦笑)

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