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自分の限界を超えたみちのく津軽ジャニーラン188㎞のゴール

2018年7月21日
青森県 5市5町1村を走る188㎞ 制限時間38時間の挑戦

ウルトラマラソンを始めて2年目 みちのく津軽ジャニーラン188㎞ 初参戦

スタート前日13:30迄の選手受付け、13:30〜16:00で行われる競技説明会を受けるため、千歳空港から青森空港に向かい弘南バスで弘前駅前に向かった。
着いたのは正午で気温は30度あり今年体験する初めての暑さだった。特に今年の北海道は20度前後と気温の低い日が続き、雨も多かったためやたらと熱く感じる。一番の心配事はここにあったが今更考えても仕方がない。


エイドステーションが20㎞ごとにしか無いことを考えるとザックに詰めたハイドレーションに水2リットル、胸のポケットにかけ水用のペットボトル500ml。その他補給食やバッテリーなどを入れると3.5kgは背負って走らなければならない。

想定外の気温とザックの重さ、走る巡航計画が本当に良いのかその自問自答を繰り返していた。走行速度を落としゴール目標タイムをせめて34時間にするなら完走率は確実に大きく上がるのだけれど..。自分で立てた計画表を何度も見る。この計画でゴールできるなら過去2回の大会を見るに全体の10位には入れるだろう。先日の100kmの大会を考えると7割位に速度を抑えたもので決して行けなくはないはずた。但しザックを背負い、炎天下の中、道も解らず、真夜中も走り未知の最長距離を踏むのは初めての事なのだから答えが出るはずも無く、明日の朝スタート地点で考えることにした。

事前巡航計画



弘前文化センターで少し長い競技説明を終える。


17時からの263km部門のスタートの見送りをする。188㎞をクリアし、来年はどうしてもこのステージに行きたい。心が高鳴る。憧れの勇者たち。



仲間と夕食。経験の多い先輩といると気持ちが落ち着き楽しい。


ホテルに帰り明日の身支度をするがなかなか進まない。106㎞の荷物預け場までは日が落ちないうちにたどり着く予定だが、予定が遅れると懐中電灯と携帯電話、GPS時計の充電バッテリーを持たなくてはならないし、エネルギージェルなども予定以上に持たなくてはならない。でもなるべくザックは軽くしたい..。
時間だけが過ぎ時計は23時を回っている。段々不安な気持ちに支配される。炎天下の中走るのが怖い..。
そんな時、仲間達の温かい応援メッセージを目にし涙が溢れる。
「仲間達の分まで走り切り希望を届けたい。ここに完走するために来たんだ。気持ちを強く持ち代表選手として闘う。」
就寝


4時に起きるはずが3時に目が覚めてしまい、再度荷物のチェックとレース展開のイメージを何度も繰り返す。
1時間前の5時にスタート地点の弘前駅前公園に到着し、スタートの時を待つ。夢に見た188㎞ 制限時間38時間の挑戦。
「勝って誇らず、負けて悔やまず、全力を尽くす。」


6時スタート

出した答えは、事前に立てた予定通りに巡航することだった。走り切った自分がいたとしても、全力を尽さなかった自分への後悔はしたくない。そう決断した。

数キロ走り、すぐにトップ5人の集団が形成される。CP1 22.2㎞まで先導して走ってくれる大会関係者と時折会話をしながら先を進む。この中には地元ランナーチームで今年サロマ湖100kmの8位の選手や、昨年のこの250㎞部門で最終盤まで1位だった数々の200km以下の大会での上位選手、女子部門で何度も優勝している選手などの話を聞き、心が躍る。
「どこまで通用するか自分を試してみたい。」
また無謀な感情が込み上げてきてくる。


10㎞を越えた地点からおおよそ全長40㎞、標高400mの峠が続く。アップダウンが大きく脚の疲労度も大きい。
CP1(22.2km) チェック時刻 8:21分、CP2(38.6km) チェック時刻 10:27分と予定通りに進み先頭集団に付いていくが気温が30度に近づいている。うだる暑さでとてつもなく身体が暑い。CPで水を頭に被りハイドレーションの水をつぎ足しすぐさま出発する。
30分も走れば被り水の蒸発で身体が悲鳴を上げる。胸に刺したペットボトルの水で頭と背中に少しずつかけながら先に進む。暑さはともかくトップランナーと肩を並べて走るのはいつでも嬉しくて心が躍る。先のことは考えず今この時を楽しむ。

CP3(59.9km) チェック時刻 12:47分、徐々に速度が落ちてきている。予想以上に背中の荷物が重い。この暑さでこの速度では水を切らせばDNFになる可能性が大きいため水は常に予備を持っている。気温も30度を超えている。峠でかなり脚を使ってしまった。
遅れをとった部分はCPで予定していた15分間の休憩を5分に短縮し調整を図ってきた。しかも大会数日前に痛めた右足甲の中央が接地の度に痛む。以前から度々発症しているのだが、一度発症すると休足する以外に術は無く、痛みを押して走ると足の甲がどんどん腫れ上がり、靴の紐の部分に少し触れるだけでも激痛が走り歩行もようやくの状態になる。スタート前に出来る限り靴紐を緩めてスタートしたが、この痛みはもう限界に近い。焦りと不安が交差する。
「とにかくゴールまで持ってくれ。」


コンビニが何件かあったため3回、氷と水を買い2ℓのハイドレーションに氷を詰め水を注ぎ、胸のペットボトルに充填し、残りは頭から被る。余った氷はザックに詰め、暑さで身体の限界が来たときに頭から被るを繰り返す。
胸に挿したペットボトルの水もすぐにお湯になり、被っても効果を感じないため、たまに見かける自動販売機を見つけては購入し、かけ水用とハイドレーションに充填する。
もうかれこれ水は6ℓ以上飲んでいて吐き気がする。あんな胃には自信があったのに水をも受付けようとしない。10㎞置きに摂取してきた100キロカロリーのジェルももう受け付けない。

CP4(78.2km) チェック時刻 15:23分、予定の15:08分と大差はなかったがもうここで既にすべての脚を使いきってしまった。正直言うともう走れる気がしない。ここまで自分との約束通り一度も歩かずに走り続けてきた。でももうその約束は叶わないだろう。もうじき走れなくなる。本心ではそれを十分理解していた。

「CP5(106km)の荷物預け場のレストポイントで美味しいカレーを食べ1時間の休憩が取れる。そこに行けば身体がきっと復活してくれる。夜間走行で気温も下がり今より快適に走れるはずだ。一度も歩かずに到着する。」
それだけを拠り所に走り続ける。



CP5(106km)レストポイント 鰊御殿に到着

19:42分 予定の調度、1時間遅れで到着した。この時点で総合4位。
まずは預けていた荷物から携帯バッテリーや懐中電灯、補給食のジェルなどをザックに入れハイドレーションに水を補充する。
胃のむかつきはまだ少しあったが、ここでしっかりと食べなければエネルギー切れで先には進めなくなる。ここまでで身体の7,000㎉以上を消費している。ジェルの捕食やCPで食べたミニサイズの蕎麦や2切れのバナナ、何切れかのメロンとグレープフルーツ、コンビニで買った蕎麦を全て合わせて2,000㎉も摂取していない。たくさん食べないと。
普通盛りの特製カレーと、1杯の筋子ご飯、冷ややっこにサラダを食べる。携帯を見るとチームメイトや母から応援メールが入っている。もうかれこれ限界を感じてから気力だけで30㎞は走ってきた。いつ走れなくなっても不思議ではないが、残り80㎞何とか好順位でゴールし喜んでもらいたい。もう一度気持ちを奮い立たせる。
「もう半分は切った。後少し。これから涼しい夜間だ。気持ちよく走れるはずだ。」

この間に3人の選手が入ってきてゆっくりする気配も無い。
靴下だけでも履き替えようと思ったが、思い留まった。両足が70㎞地点から痺れ出している。正座した時に起こるあれだ。多分かなりむくみ腫れ上がって靴の圧迫を受けているのだろう。靴下を履いた状態でも一回り大きくなっているのが解る。
「ここで靴下を脱ぎ脚の状態を見てしまえば、そこにはマイナスしか生まれない。このまま走りゴールまで二度と靴は脱がない。」
それだけ深刻な状態だった。

気を取り直し20分位滞在しすぐ出発することにした。
「今の自分にできることは休憩時間を人よりも短縮する以外に勝る道はない。明日の正午までには全てが終わる。それまでの辛抱。」


限界を超えた80km 19時間

夜道は22度くらいだろうか。時折風が吹いて涼しい。ただ街灯があまり無く真っ暗闇の中、腹部に付けたベルト式の懐中電灯とヘッドライトで進む。道路の標識も少なく一体自分がどこを走っているが解らなくなるため2㎞置き位に携帯のグーグルマップで現在地の確認をし手持ちの地図と照合する。コースは矢印版も無ければ誘導員もいない。自分だけが頼りだ。このコースは二叉路、三叉路など分岐点が多く存在し、解りずらい道が多い。せめて何号線か表記があれば良いのだが..。何度か道を間違えたがすぐ気付き2㎞位のロスで納まっている。この位は覚悟していた。
慎重に大きなロスが無いように進むことが大切だ。大きなロスは気力、体力を奪ってしまう。少し時間を要しても疑問があるときは立ち止まってグーグルマップで現在地をチェックすることを心に決めていた。

120㎞頃からか次第に脚は動かなくなり、走ることができなくなってきていた。もう限界は越えている。
ただ数か月前、140㎞の厳しい大会を22時間弱でゴールしている。そこまでは行けないはずがない。それだけが心の救いとなってる。

CP6(129.1km) 到着時刻 0:10分。予定より1時間30分遅れをとった。もう予定通りに走ることは無理だ。それよりもゴールがとても遠い。歩く速度を計測すると12分/㎞。走る速度は13分/㎞。走る方が着地時の激痛がひどくて一歩を踏み出すにも勇気がいる。足の裏は針を刺すように痛い。こんな経験は初めてだ。体内の毒素が足に回ったのかなと思った。
それでも歩いて走ってを繰り返す。タイムだけ見ると歩き続けた方が速いのも痛みが多少和らぐのも十分解っている。でも歩き続けていると気力が弱まり、リタイヤが頭を過り弱い自分がすぐに顔を出す。走ることで闘いを止める気が無いことを自分自身に必死にアピールする。
あと60㎞の辛抱。

ようやくの思いでCP7(137km)に到着した。時刻は1:40分。
気を抜くと歩くのに16分/㎞もかかっている。あとゴールまで50㎞。このまま行くとあと15時間後にゴールできる。制限時間までは余裕があるが遠く果てしない距離に感じた。また陽が昇るとあの炎天下が待っている。もうプラス要因は残されていない。
「とにかく1㎞先のことは考えず一歩一歩確実に前に進もう。」

綺麗な朝焼けを見ながら歩き続ける。CP8(156.3km)地点まであと少し。眠気でもうろうとしながらも歩き続ける。
バイパスが見えてきた。このY字路は確か左のはずだ。不用意な判断で数百メートル進み間違いに気付く。もう戻る気力は残されていない。グーグルマップを開き、このまま先を進み本来のルートによりロスを最小限になる合流する道を見つけた。
「数百メートルのロスなら仕方がない。明るくなったし、ここからのロスは精神的に命取りだ。より慎重にならなくては。」

ようやく規定ルートに戻り、再度手持ちの地図とグーグルマップで現在地を確認する。
「まっまさか。ここまで懸命に前向きにやり遂げて来たのに..。」
先を進んだはずが逆走していた。約3㎞。嘘であってくれと何度も地図を確かめる。景色も見るが見た景色だ。
逆走は当然ながら被害を倍にする。6㎞のロス。その前にも2㎞はロス。合計で8㎞。
心の糸が切れるのがわかったが、それを払うかのようにせめて間違った地点までは最後に全ての力を使い切って走ろうと思い走った。

到着後、友人にメールをした。
「8㎞もロスって気持ちが切れた。歩き続けてこんな完走に意味なんて無い。」
弱い自分が、「もう十分闘った」という声を待っていたのかも知れない。

返答がきた。
「意味が無いことなんてない。とにかくゴールを目指せ。ゴールにこそ意味がある。」という内容だった。
逆の立場だったらゴールの可能性がある限りきっと同じことを言うだろう。でもそうは言っても最後の頼みの綱の気力までを失った。もう自分に残されたものは何も無い。

CP8(156.3km) 到着時刻 6:34分。ようやくの思いで到着。
気温が上がり始めている。
残り30㎞。15分/㎞で進んで約7〜8時間。制限時間までは十分余裕がある。
「ここからは感情の無いゾンビとしてただひたすらに歩き、暑ければコンビニで氷と水を買い昨日と同じことを粛々とする。」

※残りは電池切れにより計測不能

ラスト30㎞はゾンビで闘う

ここからは前に進んでいるのがもう不思議な位だ。いやもうそう思ってから50㎞は進んできた。足は悲鳴を上げ、容赦ない気温と直種日光が体力を奪う。
「おれは感情の無いゾンビ。」そう自分に何度言い聞かす。ゾンビは痛さも暑さも空腹も何もかも感じない。ただとらえた獲物に向かい直進する。何度だって復活する。

立ち止まると両足が小刻みに震えている。暑さで意識がもうろうとする。4〜5回はコンビニにいっただろうか。氷と水を買い同じ行動をする。昨日の暑さを乗り越えた経験。自分にはそれしか無かった。それを忠実に再現する。


辿り着いたゴール

最後の5kmは最も長い5㎞だった。残り5㎞でも少しでも気を抜けば前に進まなくなる気がした。テープを切るまでは何が起こるか解らない。必死に右と左と足を動かした。
ゴールでは仲間達が出迎えてくれた。
もうゾンビと化していたから感情は出てこなかったが、やっとこの旅が終わったんだなと安堵した。





【記録】
188㎞
33時間04分27秒
総合順位 21位/141人
男子順位 18位/109人




《本大会エントリー者数》
263K 199人、188K 158人、計357人
《出走者数》
263K 177人、188K 141人、計318人
《完走者数》
263K 101人、188K 72人、計173人
《完走率》
263K 57,06%、188K 51.06%、平均54.4%


最後に

大会運営に携わった方々、応援頂いた多くの方々、いつもお力添えを頂く皆さま本当にありがとうございました。とても人生で貴重な経験を得ることができました。心から感謝致します。

時間が経って思うのはやはりゴールに意味があるということ。どんな形であれゴールができて良かった。だからこそ次のステップに進むことができる。本当は最後まで笑って走りたかった。でも少なからず、道端で応援して下さる人、CP、エイドでお世話にして下さる方々には笑顔と言葉で感謝を伝えきることができました。来年はもっと強くなり、気持ちにゆとりを持って楽しみながら走れるようまた挑戦をしたいと思います。

来年は263km。まだ見ぬ輝かしい未来を自ら切り開いていきます。


参加賞のTシャツ


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