2026IAU24時間走アジア・オセアニア選手権(日本/弘前市)メダルへの挑戦
2026年5月23日に日本で初開催となるアジア・オセアニア選手権は、インドやオーストラリアなど9か国、約80名の各国代表選手が競い合う大会。
自分は2025年5月の代表選考レース(弘前)で優勝(262.302km)し、この時点で日本代表入りが内定。そのため、2025年8月の世界選手権「2025IAU24時間走世界選手権(フランス/アルビ)メダルへの挑戦」が終わってからは、この大会でのメダル獲得を見据えて準備を進めてきた。


例年より約1か月遅いスタートとなったが、12月から3月中旬まではフルマラソンに集中。しかし、その期間は太腿の肉離れが何度も再発し、思うような練習が積めず、納得のいく結果を残すことはできなかった。
それでも、この時期はあくまで通過点。「今できることをやる」と割り切り、一日一日を積み重ねてきた。
- 2026年 2月 1日 別府大分毎日マラソン 2時間43分56秒
- 2026年 3月 8日 静岡マラソン 2時間52分04秒
長い距離に対応できる身体へ戻すため、3月9日からは走行距離を大幅に増やすことに取り組んだ。
- 2026年 3月14日 小江戸大江戸(237㎞) 27時間36分56秒 2位
- 2026年 4月 3日 バックヤードウルトラ 木島平村 58Lap(時間)/389km
- 2026年 4月19日 第36回チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン(120㎞) 10時間36分28秒 11位
- 2026年 5月 3日 第1回ぴあさっぽろ豊平川ハーフマラソン 1時間22分8秒
- 2026年 5月 9日 第73回憲法祈念ハーフマラソン 1時間20分30秒
これらのレースはすべて本番に向けた準備レース。結果にはあまりこだわらず、その時々の課題を確認しながら、やるべきことを一つひとつ積み重ねることだけを意識してきた。
本番前には、これまでで一番と言っていいほど身体は仕上がっていた。その手応えから、予定にはなかったポイント練習(スピード練習)を連日行うようになり、走るたびにスピードは上がり、身体は軽く、どこまでも走れるような感覚さえあった。
「今なら勝負できる。」
そう確信できるほど、自分自身への期待は日に日に大きくなっていった。しかし、競技の世界は思いどおりにはいかない。
大会8日前。その一歩で、太腿の肉離れが再発した。低速で走ることすらできない。積み重ねてきたものが、一瞬で崩れ落ちていくような感覚だった。
悔しかった。
焦りもあった。
「なぜ、このタイミングで…」
そんな思いが何度も頭をよぎった。
それでも、ここまで積み重ねてきた努力は、決して消えるものではない。
どんなに苦しい状況でも、自分が積み上げてきた時間だけは裏切らない。
そう信じるしかなかった。
無理に走って可能性を失うのではなく、本番まで残されたわずかな時間を「回復」にすべて懸ける。
走りたい気持ちを抑え、レース当日まで治療だけに専念することを決断した。
メダルへの挑戦は、まだ終わっていない。
むしろ、本当の勝負はここから始まるのだと、自分に言い聞かせながら。
【レース前日 開会式】





【スタート前】
この日のために、何か月もの時間を積み重ねてきた。
本番1週間前からはジョグすらまともにできなくなり、走ることを完全にやめる決断をした。
「これは良い疲労抜きになる。」
そう自分に言い聞かせながら、大会前日までは治療だけに専念した。
この1週間、怪我をする直前までの自分の走りを何度も思い返した。
「あの時の走りなら、自己ベストを更新できるだけの力は間違いなくあった。だから心配するな。」
そう何度も自分に言い聞かせ、不安を押し込めてきた。
大会前日の朝、恐る恐る試走してみる。
現実は甘くなかった。
痛みでほとんど走ることができず、そのまま歩いてホテルへ戻った。
言葉にならない絶望感だった。
「これまでやってきたことは、全部無駄だったのか…。」
気が付くと涙が止まらなかった。
棄権するべきか。
最後まで、その答えは出なかった。
朝まで何度も考え、何度も迷った。
それでも、スタートラインに立つことを決めた。
このレースは、もう自分一人だけの挑戦ではなかったからだ。
ここまで支えてくれた人たち。
応援し続けてくれた仲間。
「頑張ってこい」と送り出してくれた人たち。
その一人ひとりの思いを胸に、自分は走るべきだと思った。
その瞬間、不思議なくらい迷いは消えていた。
痛み止めを飲み、静かにスタート地点へ向かう。
「これがランナーとして最後のレースになっても構わない。」
そんな覚悟だけを持って、スタートラインに立った。


レースは想像以上に過酷だった。
最後は何度も意識が遠のきながら、それでも足だけは止めなかった。
ただ前へ。
一歩、また一歩。
その一歩一歩を積み重ねることだけを考え、24時間を走り続けた。
間違いなく、これまでで一番苦しい24時間だった。
それでも振り返ると、不思議なくらい後悔はない。
逃げずに立ち向かったからこそ、この24時間は人生で最も幸せな時間だったと思える。
努力は、必ずしも思い描いた形で報われるとは限らない。
それでも、積み重ねた時間が無駄になることは決してない。
今回得た経験も、悔しさも、すべてが次の挑戦につながっていく。
結果は、きっとそう遠くない未来に現れる。
もしかすると、それは自分が思い描いていた形とは違うかもしれない。
それでも、その日を信じて、また一から積み重ねていきたい。
■結果
・個人(男子) 10位 / 42人
244.513㎞
・団体(男子) 2位 / 9カ国
754.726㎞


〔表彰式 / 団体 2位〕 ※団体戦はチーム内上位3名の記録の合計



【おまけ】
〔青森空港〕

〔岩木山(1,625m)/青森県/日本百名山 〕



〔6月10日 北海道新聞〕

次戦
第41回サロマ湖100㎞ウルトラマラソン
⇒第41回サロマ湖100㎞ウルトラマラソン 7時間30分切り3度目の挑戦









