第41回サロマ湖100㎞ウルトラマラソン 7時間30分切り3度目の挑戦
2023年のサロマ(第38回サロマ湖100kmウルトラマラソン 7時間30分切りの挑戦)では7時間49分08秒。
2024年(第39回サロマ湖100kmウルトラマラソン 7時間30分切りに再挑戦)は7時間48分38秒。
2年続けて挑戦したものの、目標として掲げてきた「7時間30分切り」には、あと一歩届かなかった。
その悔しさは、レースが終わっても消えることはなかった。
「いつか必ず。」
その思いだけは、心の中で静かに燃え続けていた。
しかし今年は、5月20日に太腿を肉離れ。6月15日まではスピードを上げて走ることができず、ひたすら低速のジョグでつないでいく日々が続いた。
それでも焦りはなかった。
怪我をするまでは、自分でも納得できるくらい順調に積み上げられていたからだ。
「あと2週間あれば、もう一度あの状態まで戻せる。」
そんな確信だけは失わずにいた。
メインとして準備を進めてきた5月23日の2026IAU24時間走アジア・オセアニア選手権(2026IAU24時間走アジア・オセアニア選手権(日本/弘前市)メダルへの挑戦)も無事に終わった。
あれほど大きな目標だった大会を走り終えたことで、不思議なくらい心は軽かった。
もう結果に追われるのではなく、もう一度、自分自身の限界に挑戦してみたい。
そんな気持ちが自然と湧いてきた。
24時間走を戦い抜いたことで、長い距離への耐性には十分な自信があった。
一方で、不足しているのはスピードだった。
怪我を再発させないよう慎重に身体と対話しながら、大会2週間前から少しずつペースを上げていく。
目安は、マラソンを1km4分ペースで余裕を持って走れること。
焦らず、無理をせず、一歩ずつ身体を仕上げていった。
2023年、2024年と挑戦したサロマは、どちらも30℃を超える厳しい暑さとの戦いだった。
今年の予報は20℃前後。
タイムを狙うには、これ以上ないほど恵まれたコンディションになりそうだった。
この一年は、日本代表として世界選手権(2025年・フランス/アルビ)、そしてアジア・オセアニア選手権(2026年・弘前)に向けて走り続けてきた。
結果を求め、日の丸を背負い、自分自身にプレッシャーをかけ続けた一年だった。
だからこそ、今は少しだけ肩の力が抜けている。
背負うものは何もない。
ただ、自分がどこまで走れるのか確かめたい。
サロマのスタートラインに立つことが、心から楽しみだった。
【スタート】
7時間30分を切るためには、100kmを平均4分30秒/kmで走り続けなければならない。
スタートは朝5時。
気温が低く走りやすい前半のうちに、できるだけ貯金を作っておきたい。
身体の動きは悪くない。
予定どおり4分05秒/km前後で入り、その後は少しずつペースを落としていくビルドダウンの展開をイメージしてスタートした。
序盤は驚くほど身体が軽かった。
一歩一歩に余裕があり、リズムも呼吸も乱れない。
50kmを過ぎた時点では、
「今日は7時間20分も狙えるかもしれない。」
そんな手応えさえ感じていた。
しかし、100kmという距離は、そんなに甘くない。
少しずつ脚に疲労が蓄積し、思うように前へ進まなくなる。
焦ってペースを戻そうとすればするほど、身体は正直に反応した。
80km地点
網走国定公園に指定されているワッカ原生花園へ入る。
細長い砂州に続く道は、小さなアップダウンが絶え間なく続き、真正面から吹き付ける強い向かい風が容赦なく体力を奪っていく。
ここで、一度心が折れた。
「今日は7時間30分には届かない。大幅な自己ベストの更新だけでも十分だ。」
90km地点の折り返し
今度は思ってた以上に追い風に感じる。
身体は限界に近かったが、
「まだ終わっていない。」
そう言い聞かせ、もう一度スピードを上げ、30分切りに目標を定める。

しかし、現実は厳しい。
レース後半の10kmで失った200秒を、ラスト10kmで取り返すということはそう容易いことではない。
それでも最後まで諦めることなく、力の限りを尽くしゴールを目指した。
ゴール

目標としていた7時間30分切りには届かなかった。
それでも、自分の限界に挑み続けた100kmに後悔はない。
挑戦したからこそ見えた課題があり、挑戦したからこそ得られた自信もある。
そして何より、この場所には、また挑戦する理由ができた。
来年こそ。
目指すのは7時間30分切りではない。
本当の目標である7時間20分切り。
そのゴールをつかむために、また一歩ずつ積み重ねていきたい。
■結果
・7時間31分30秒(ネットタイム 7時間30分28秒)
一般総合 6位、年代(45〜54) 3位

〔一般総合 6位/年代(45〜54) 3位の記念品〕

次戦
クリント イーストウッド(バックヤードウルトラ) in Brisbane
2年に1度のチャンピオンシップ(世界大会 団体戦) 代表入りへの最後の挑戦









